- 2020.04.14 UP !
河島です。2020/04/14

btrmdn
こんにちは。河島です!
写真のイケメン猫さんは、私の飼い猫です。
とても温厚で、もう一匹いる♀の猫とじゃれ合うとき、必ず彼は「ハンデ」を自分なりに設けています。
ハンデとは、後ろ足を原則、使わないことです。
彼は基本的に温厚ですが、シャンプーするときや爪切りの時になると、後ろ足の爪を出しながら思い切り蹴り飛ばしてきます。私や主人は出血するほどの怪我をします(笑)
彼には後ろ足を蹴るという最強の攻撃方法があるのに、力が弱い♀猫に対しては、後ろ足を一切使わずに、鋭い猫パンチも繰り出さずに、甘噛みよりちょっと強めに噛むだけなのです。
よほどピンチのときは、後ろ足も使いますが、それでもシャンプーの時よりも、大分優しい蹴り方です。
まとめると、彼(「スバル」って名前です)は、とてもいい奴で、「自分より弱いと分かっている相手を傷つけない」心をわきまえています。
もちろん、スバルのように手加減をしない猫もいます。多数いるでしょう。
私は「弱いものいじめ」や「権力を盾に詭弁を振りかざす」ずるい人間が嫌いです。
戦いたいのなら、同レベルの戦闘力の人間と戦えばよいのです。
弱いものをいじめた上で、もうその時点であなたには「相手に怨恨を抱かれ」ているのです。
自分が、スッキリして、相手もやり返してこない、
だから、それで終わり!
……ではないのです。
もし相手になにか卑怯なことをするのなら、その前に必ず、「自分は、一生涯相手にどす黒い恨みを持たれる」と覚悟しておいてください。大人も子どもも同じです。家族間であっても、学校でも、知らない他人との関係であっても。
私の親世代は、「いじめは根性で乗り切れ」といった風潮が蔓延していたそうですね。現に、私も学生時代、いじめられていることを相談したら「甘ったれるな」と突っ返されました。
いじめは犯罪です。学校であれ、職場であれ、地域社会であれ、「悪口言いふらす」「無視する」「わざとぶつかる」「物を隠す」「掃除当番を押し付ける」「物を壊す」とにかく、それらは民法上、「不法行為」となり、「損害賠償請求」の対象となりますし、刑法だと「傷害罪」「暴行罪」「器物損壊罪」などが当てはまりますし、告訴されたら犯罪者となります。
要は、自分の行動が、相手に不快感をもたらしていないかを常に意識しながら生きろってことです。(日本は法治国家ですから、これは常識です。)
未成年であれ、大人であれ。老若男女、みんな一緒です。
もし、弱いものに対する悪行が法律に当てはまらなかったとしても、痛めつけられた相手側は「負の感情」を、抱いているわけですから、それ相応の復讐があるかないかを毎日気にして生きていく必要があります。
未成年の場合ですと、小学校に上がる頃に「物事の善悪を判断する事理弁別能力」が備わっていると一般的に解釈されていますから、小学校に上がるお子さんを持たれている方は、ご自身のお子さんが「社会の一員」として正式に加わることを強く自覚し、責任を持ち、お子さんが万が一、「他人に嫌な思いをさせた」ならば、「子どもの問題として」放置するのではなく、しっかり躾けて、叱って、ちゃんと親として傷つけた相手方に謝罪をするべきです。菓子折りなど要りません。相手が求めているのは、「我が子を傷つけた他人の子どもが本当に反省して、自分がやったことがどれだけ悪いことか、どれだけ相手に嫌な思いをさせたのかを最終的に心の底から理解している」その事実のみです。
形式ばった謝罪など、むしろ、不信感を抱かせかねません。
子どもを育て、社会に放つということは、親として強い責任感を、常に抱き続ける覚悟が必要であり、すなわち、とても重い「義務」なのです。「放棄」などできない「義務」なのです。
子どもを持つということは、自分たち家族の中だけの話ではなく、いろいろな他人が関わってきます。
強い責任感と重い義務を背負いながら、我が子に愛情を注ぐ。それが、本当の「子育て」であり、そもそも「子育て」とは決して楽しいものではなく、ミルクをあげて、おむつを換えて、大きくなったらおもちゃを買って、塾に行かせて、という誰でもできるようなことでもない、はっきり申し上げますと、親にとっては子どもを育てることは、「全く採算性のないこと」であり、子どもがグレたから、学校に行かなくなったからといって、顔を覆って泣くのは「甘え」でしかありません。
子どもは、個別の「自我」を持っています。
清く正しく美しく育つことを願うのは親のエゴだと私は思います。
子どもがどうして、グレちゃったのか。どうして学校に行かなくなってしまったのか。どうして勉強しないのか。
どうしてどうして言うのではなく、起こってしまった事実をしっかり目を逸らさずに凝視をしてください。
自責する必要はありませんし、子どもを責める必要もありません。
ただひたすら、子どもさんの行動・言動を「現実として」受け入れてください。
そして、最終的に「子どもに学校に行かせたい」等、そう思われた理由を掘り返してみてください。
案外、子どものためではなく、ご自身の過去のトラウマから来る「願望」だったり、「理想の押し付け」だったりします。
もしそうだとしたら、子どもさんがグレたり道を踏み外そうとしちゃう理由が私にはわかります。
子どもさんは、人形ではありません。
思い通りに動くなんて思ったら大間違いです。
もしこの記事をごらんになった不登校のお子さんがいて、困っている親御さんがいらっしゃるとすれば。
子どもの不登校で、困っているのは、「あなた自身」であり、子どもさんは「困ってない」でしょうね。
困っていない子どもさんは、不登校を続けるでしょう。だって、そのほうが楽だから、不登校を、わざわざ選んでいるんです。
あなたの「困りごと」の本質は、
「子どもが学校に行きません【私は周りから責められて、もしくは、このままだと子どもが一生無職で面倒見なきゃいけない】ので、困っている」
だと思われます。
本質だけ抽出すると、とんでもないエゴですね。
子どもの問題にエゴでぶつかったら、そりゃあ子どもはキレます。
不登校、非行、虞犯……これらを、問題として扱う排他的な報道のせいで、マイナスイメージはつきがちです。
しかし、誰しもが、「社会の輪から抜けてしまう」ことはあるのです。
大切なのは、「輪から抜けてしまった本人が、“再び輪に混ざりたい!”と強く自発的に思うこと」なのです。
そう思わせるには相当なエネルギーと根気が必要でしょうが、私はそれを進んで引き受けたいですし、かつての自分と同じ苦しみを抱えた子どもたちと、会ってお話することをすごく楽しみにしています。
どうして楽しみなのかはよくわかりません。
たぶん、私の心の中に、「非行に走った頃の17歳の自分」が、未だに住み着いて、忘れないで、と時々主張するからかもしれません。
長くなりました。
26歳の若輩者なので、けっこう上から目線だとか生意気だったら失礼しました。
しかし、嘘や詭弁、建前は好きではないのです。

初めまして。この度、非行少年・少女のカウンセラーを担当させて頂く河島桃花(かわしまももか)と申します。 かつて私は、18歳の冬に、非行少年として家庭裁判所で少年審判を受けた過去があります。(現在は26歳です) 世間の大半の大人は、やむを得ず非行に走ってしまったあなたの『悪い部分』しか見ていないかもしれませんが、非行に走ってしまったあなたたちは、少し不器用なだけだと私は思います。私は今、非行や犯罪をテーマにしたキャラ文芸もwebで執筆しています。居場所のない青少年たちのために、何か“良いヒント”を掴んで欲しいと思いつつ。
語学と音楽と小説と、とにかく書くことが大好きです。よろしくお願いいたします!