お久しぶりです、河島です!
2021年、あけましておめでとうございます。
河島です。2か月ほどご無沙汰しておりました。
まだ寛解していないこころの病やその他いろいろな事情でブログを更新できませんでしたが、すっかり復活しましたので、本年度も、よろしくお願いします。
わたしは、ついこの間、27歳になりました。
27に突入すると、ついにアラサーか……と嘆く人はかなりいらっしゃるみたいですけど、わたしは歳を重ねる事ができて、嬉しいです(笑)
昔から、アラサーの女性はカッコいいというイメージを抱いていました。ドラマやファッション雑誌でみかける20代後半~30代前半の女の人は、お洒落な服装に、瀟洒な身だしなみ、とにかくカッコよくて憧れたものです。
中学生の頃は、ほんとに早くアラサーになりたくて仕方なかったのです。たとえ、誰かに、何か意見しても、ひとりのおとなとして見てもらえて、発言を大事に受け取ってもらえるし、生意気って言われたり、鼻であしらわれることがない、そう思っていました。
確かに27になると、ガキ扱いされることはないし、生意気と言われることはほとんどなくなります。
15歳で、“人生楽しすぎる”と発言するのと、
27歳が同じく“人生楽しすぎる”と発言するのとでは、若干周囲の反応が変わります。
15歳に対しては、“そりゃ社会に出てないし苦労してない遊んでばっかなんやから楽しいのは当たり前だろw”といった羨望をおとなは抱きつつ、まだ心に余裕があるので、本気で楽しんでる15歳の子どもを見下し、マウントを取ります。
しかし、27歳の大人に対しては、周囲の大人は本気で羨望を向けます。むき出しの嫉妬と、焦りです。27歳で人生を本気で楽しんでる人は、そうそういないからです。そして、嫉妬からおなじくマウンティングしようとしますが、マウントの取り方が、より気色悪く、よりねじ曲がったものになります。
例えば、“27だったら結婚する時期でしょ? 結婚もしてないのに、人生楽しいなんて~世界を知らなさすぎるよ~”とか、“子どもができたらもっと人生楽しくなるけどなぁ~”みたいな。
すこぶる嫌な気分になりませんか。少なくとも、胸のなか、モヤモヤするはず……(;´∀`)
でもまぁ、わたしが言いたいのは、
大人も子供も、価値観の押し付け合いはよくないってことです。
“人生の楽しさ”“幸福”“悲しみ”は、各々が歩んできた人生のなかで紡がれていく、唯一無二の“捉え方”、“物差し”なので、形も姿もそれぞれバラバラです。天秤だったり、定規だったり、グラフだったり……。
まったく異なる“秤”をお互いに突き出して、
暗に“こっちの方が満たされてます~”アピールは、格好悪いと思いますね。
誰かと打ち解けたいときは、マウンティングは駄目です。
わたしは、27になる前に失敗しました。
知らないうちに、とある人へマウンティングをしてしまっていたのです。
わたしの定義する“人生楽しい”(=秤/測りetc…)とは、
“天職に就いて、天職で独り立ちできるレベルのお金を稼ぐこと”
でした。(今もそうですが、“お金”の部分は重要ではないです)
空想が好きなわたしは、文章で、生計を立てるフリーランサーになることが、人生における最大の幸福だと思い込んでいました。宗教的な信仰心に近いものがありました。
そんなわたしにとって、
“天職を手に入れ、自立できる水準のお金を稼ぎ、自然と人の役に立っている人”は、
羨望の対象だったのです。
うらやましくて、仕方ない。
わたしは、その方とケンカをしたかったわけでも、決裂したかったわけでもなかったのです。
しかし、ふとした瞬間、
“手に職あると、時間に融通が利いていいですね~”
といったことを、口にしました。
これは、一見、何気ない会話文に見えるでしょうけど、実際、上記のセリフに隠れた本音は、
“手に職あると、いつでも好きな時間にごろごろしたり遊べていいですねぇぇぇぇ”
といった、ただの、嫉妬です。難しい言葉で言い換えると、“ルサンチマン”です。
ルサンチマンは、“弱者が自分より上の者に対して抱く劣等感”です。
つまり、ドロドロの感情。
もし、その方にわたしがルサンチマンを抱いておらず純粋にその方をフリーランサーとして尊敬していれば、
“手に職あると時間が自由な分、スケジュール管理も大変でしょう? どう工夫されてます?”
こういったセリフを言ったはずです。
赤と青のセリフの本質的な違いは、おわかりいただけたでしょうか?
赤は、“相手も自分もわかり切ってる、明白な事実”であり、わざわざ口に出して確認するようなことじゃありません。
一方、青の方は、“わたしも将来は手に職つけるつもりでいるので、是非、先輩フリーランサーの働き方を参考にさせてください”といった、建設的な『質問』です。
“わたしも絶対に、努力して、10年先でも好きなことで飯食っていくんだ!”という決意と覚悟と自信をしっかり持っていれば、赤のセリフは言わずに済みます。
劣等感、どうせ自分にはできないと決めつける卑屈な精神が、不毛な事件を生み出すのです。
たとえば、第二次世界大戦中の、ユダヤ人ホロコースト(大量虐殺)。
主導者は、アドルフ・ヒトラーですが、ヒトラーの資料を調べていると、やはり、あんなに恐ろしい彼にも“劣等感”や“卑屈さ”があったのです。
ヒトラーがドイツ人(アーリア人)を信じ、ドイツやアーリア人に誇りを抱いていれば、わざわざ別人種であるユダヤ人やポーランド人と比較して、ドイツ人の方が優れてるなどといった不毛な考えには至らなかったはずです。
ホロコースト含め、第二次世界大戦は、多くの国中を巻き込んだ大規模な争いだったわりに、争いの種は、一人の人間の、本当に小さな小さなルサンチマン(コンプレックス)だったのです。
画家志望だった青年が一国の独裁者のトップに君臨し、その彼が何度も部下に問いかけた言葉は、
“パリは燃えているか”
でした。
ヒトラーは古い芸術的な建物を描くのが好きでした。城や教会や、古い大きな建築物ばかり。
きっとヒトラー自身も一時期は憧憬の眼差しで見つめたであろうパリの凱旋門を、彼はカンバスに描くことなく、燃やすことに執着し、結果、多くのものを踏みにじり、失い、そして自分自身もどこかへ見失いました。
劣等感と上手く向き合う義務が、わたしたちにはあります。
人間は、知性を持って生まれた分、義務と責任も格段に重くなります。
年明け早々、長いお話になりました。
戦争関連の話は、まだ勉強途中なので、間違いがあるかもしれません。
もしよろしければ、間違い箇所の修正のコメントを頂けると幸いです。(歴史は正確に伝えなければなりません……。)
2021年も、大変な状況ですが、今できることを積み重ねましょう。
暗い事、明るい事、どちらで頭がいっぱいでも、明日死ぬかもしれないのですから、どうせなら、後者がよいに決まっています。
ほんとに長文です、失礼しました。
ご自愛を。
河島 桃花
(下部のイラストは、イラストレータのYn様【SKIMAのクリエイターさんです】より頂きました。)
かなり美人・・・(*´ω`*)(わたしです↑)

初めまして。この度、非行少年・少女のカウンセラーを担当させて頂く河島桃花(かわしまももか)と申します。 かつて私は、18歳の冬に、非行少年として家庭裁判所で少年審判を受けた過去があります。(現在は26歳です) 世間の大半の大人は、やむを得ず非行に走ってしまったあなたの『悪い部分』しか見ていないかもしれませんが、非行に走ってしまったあなたたちは、少し不器用なだけだと私は思います。私は今、非行や犯罪をテーマにしたキャラ文芸もwebで執筆しています。居場所のない青少年たちのために、何か“良いヒント”を掴んで欲しいと思いつつ。
語学と音楽と小説と、とにかく書くことが大好きです。よろしくお願いいたします!